叔母はわたしの母の妹にあたるひとで、母と同じく手先が器用で手芸好き。いつでも手を動かして何かをつくっています。昔遊びに行ったときには、部屋いっぱいに織機が置いてあり何かをせっせと織っていたこともありましたが、今はもっぱらキルトにはまっています。
そんな叔母が今回訪問したわたしたちに、ふいに見せてくれたものが、羊毛。「牧場に遊びに行ったらね、刈ったばかりの羊の毛を要らんかと言われて・・」。刈りたての羊毛は汚れて獣の匂いそのままで、何度も何度も洗っては干し、ようやく匂いがとれて真っ白になったところだそう。そのふわふわの羊毛を、今度はネットで調べて自分で作ったというダンボールでできた紡ぐ道具で、少しずつ少しずつ紡いでいるとのこと。やっと紡いで毛糸になった玉が5つ6つ。「全部紡いだら何にするの?」せっかちなわたしの質問に、「そうねえ、何にしようかねえ」とゆったりと姫路弁で答える叔母の笑顔が、出来上がるモノではなく、その工程こそがたのしく豊かな時間なのだと語っていました。
叔父にいたっては、定年後の趣味にはじめた木彫りに夢中。ご近所さんから余った木材をもらい、家の前のガレージを改装した工房でせっせと製作しています。余った木材なので、どんな大きさのどんなかたちの木材なのか希望通りではなく、いつもいただいた木材を見て、その木材に合ったテーマを考えるそうです。飼い犬や母子の姿などやわらかな曲線で描く叔父の作品は、なかなかに独創的で素敵なのです。
おもしろいことに、町を歩くと、あちらこちらの玄関先に叔父の木彫りの作品が。「友達や〜」と笑う叔父。お祭りの行われた近所のお宮に上がると、普通に境内に叔父の木彫りの作品が置いてあります。「置き場所のうなったでちょっと置いて〜って言うたんや〜」。家の前で製作していると、顔見知りが立ち寄り世間話なんてことは日常、通りがかりの小学生が足を止めて見ていったり、時には手を止めて将棋をさしたり、そんなあたたかな交流があるそうです。
誰に頼まれたわけでもなく、何のためにつくるわけでもなく、ただいただいた木で気の向くままに手を動かす。そんな叔父の作品も、時を経ていつの日か友達の家の玄関先で、お宮の境内で、良い味をかもし出すのだろうなと思います。
山があり、海があり、祭りがあり、親戚、仲間がいる町。「いいところだね」としみじみするわたしに、「おっちゃんはここしか知らんのや」と苦笑いする叔父は、本当に故郷を愛し、その豊かな暮らしに満足しているのだろうと感じました。
姫路市には「日本玩具博物館」という玩具の博物館があり、今回の旅の最後に訪れました。世界中の、日本中の、古くからの玩具がいっぱいに展示されていました。わたしたちの好きな日本や中国の郷土玩具、メキシコの木彫りの姿も。誰がつくったものか名前は残っていないけれど、何年も時を経て、日本の、姫路の小さな博物館におさめられ、しずかながらものづくりをするわたしたちに、ざわざわとした感動を与えてくれる玩具たち。
わたしたち「9brand」の製品にしても、その名前よりも、そのモノ自体が何かを、お客さんに語りかけてくれたらと願ってものづくりをしています。
静かなるつくり手たちが教えてくれること、そのモノが語りかけてくるもの、それはとても大切なことだと思うのです。